人生、思い通りにならないことが発生してくるものです。
それをどのようにとらえるのかによって、気持が変わってくると思っています。
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完走を目標にしていたレースでリタイア
人生は、必ずしも思い通りにはならない・・・という思いを強くしました。
理由は、完走を目指していた「柴又100K」のウルトラマラソンでリタイアしてしまったからです。
これまでにないくらいにトレーニングをしてきたつもりでしたし、体重もしぼりました(これが悪かった可能性もありますが)。
ですが、猛暑の中で淡々と走っていたつもりが、52kmの表示をすぎたあたりから記憶がなく、意識が朦朧とする中、はっきり目がさめるとICU(集中治療室)にいました。。。
重度の熱中症と脱水症状だったのです。
レースでは水分もたっぷりとっていたし、それほど汗もかいていませんでした。
また、ペースも心拍が上がりすぎるような走り方はしていなかったのですよね。
それだけに、悔しい想いでした。
思い通りにならないから伸びしろができる
今回の結果は、もちろん、悲しむべき結果です。
ただ、別の側面もあるようにも思いました。
もしも人生が思い通りになるのなら、誰でも自分に都合の悪いことを遠ざけたり、やらないようになるでしょう。
ただ、本当にそうなってしまったら、傍若無人な人たちがあふれ、人類はすぐに滅びてしまいそうです。(^_^;)
そう考えると、自分に都合が悪いことがない人生というのは、夢を追いかけたり、挑戦することもなくなってしまうように思うのです。
人は悪いことをきっかけに改善しようとする気持になったり、悪いことから何かを学びます。
自分にとってよくない状況があるからこそ、逆にのびしろがあると考えることができるのだと思うのです。
いいことしか怒らなかったとしたら、チャレンジ精神は育たないし、目標に向かっていくプロセスを実感することはないのではないでしょうか?
コントロールが及ばないところにこそ挑戦する
今回の入院で思ったのは、
・自分の人生だからといって、コントロールできるわけではない。
・すべてをコントロールするために生きているのではない。
ということでした。
今回、病院で目覚めてからは私にコントロール権はまったくありませんでした。
最初は意識も朦朧としていましたし(iPhoneのパスワードさえ思い出せませんでした・・・)、ベッドに寝ていなくてはなりません。
スマホも使えませんし、メモ書きもできませんでした。
入院も、車椅子も、人生初の経験でした。
自分の人生の1部でありながらも、そこにコントロール権はありませんでした。
それは、どこか現実味を帯びていないような感覚。
人生は自分で動かしているのではないという感覚を味わうのは、どこか不思議なものでした。
コントロールできないつらさを味わいました。
でも、私たちがすべて自分の人生をコントロールできるわけではありませんが、責任がまったくないということではありません。
自分の人生を生きている限り、果たさなければならない役割がありますよね。
だからといって、世界のすべてのできごとに責任を負う必要もありません。
ただ、すべてが思い通りにはならない人生の中で、チャレンジする気持を忘れないこと。
その気持が、人生に刺激を与えてくれるのだと思うのです。
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■編集後記
記事にも書いたように昨日は、「柴又100K」でした。
ICUに入ったあと、一泊して復調し、今日は無事に退院。
自宅に戻れて安心しています。
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