成果を上げている人は、時間を味方につけた努力をしています。
その努力は、良い意味で力が抜けている努力に見えます。
対象に没入できる「ノンストレスの努力」が、成果につながるのです。
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自分に向いている努力は「努力=つらい」ではない
「自然にできてしまう努力」とでも言うべき努力があると考えています。
たとえば私は、請求書作成のような事務仕事には苦痛を感じます。
しかし、
・コーチングスキルを磨いたり知識を得ること
・早起きをはじめとした習慣化のアプローチを研究すること
・ブログを書くこと
・読書やセミナーで学ぶこと
といったことなら、没頭することができます。
一方で、私とは正反対で、事務仕事が得意な人は大勢いるはずです。
そのように考えると、人には苦痛を感じない努力、つまり自分に向いている努力があるのです。
ほかの人の「努力」と当人の「努力」の違い
努力を成果にきっちりと結びつける人があります。
その人たちを見ていて考えるのは、「ほかの人から見ると異様な努力なのに、当人はそれほど努力と思っていない(努力に見せない)」ということです。
たとえば、妻と一緒に画展にいったイラストレーターさんの話をしましょう。
彼の作品は、クオリティーもさることながら、すごいのはそのボリュームです。
それもそのはずで、彼は仕事でイラストを描いているのですが、仕事の合い間の休憩では、自分の好きなイラストを描いているだそうです。
休憩は休むことでもあるのですが、自分好みのイラストを描くこと自体が休憩のようなものだというのです。
これは、努力を努力と思っていないことの証ですよね。
私も彼ほどではありませんが、共感できる部分はあります。
「なりたい自分」に近づけるのであれば、自然にその対象について考えてしまいますし、勝手に行動を起こしてしまうのです。
それは苦痛とは異なるものです。
むしろ「この努力が将来につながるんだ。」というワクワク感さえあるのですね。
そのような対象を見つけられたことは、幸運です。
(その対象を見つけるための努力は、自分なりにたくさんやったと思っていますが。)
取りと感じない対象にエネルギーを注ごう
会社の売上ノルマなど、人から押しつけられた努力というのは、やっていてつらいものです。
また、そのような努力はストレスになりますし、何より成果につながらないでしょう。
私も習慣化を学び研究していく中でよくわかったですが、そのような努力はなかなか続家内のですよね。
大事なのは、努力の内容です。
自分ではストレスを感じない努力を選択する。
選んだら、その対象に集中する。
もちろん、まったく努力がいらないということはないかもしれませんので、努力する対象を吟味するということで、「つらい努力」から解放されます。
それが自然にできてしまう努力、いわば「ノンストレスの努力」なのです。
私のように自分を凡人と思っている人は、ノンストレスの努力によって、少しずつ「好き・得意」を積み重ねていくことがおすすめです。
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■編集後記
昨日は仕事終わりにお客様にご招待いただいた映画の試写会に参加。
トークイベントでは、auのCMで一寸法師役にばってきされて一躍有名になった俳優の前野朋哉さんや黒木華さんらのトークを楽しみました。
映画の内容も考えるところがあり、気づきを得られました。
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