先日、早起きをした妻と、2人で早朝ウォーキングに行きました。
3km弱歩いて自宅に帰る直前、ある光景をみかけました。
それは、おばさんが、野良猫3~4匹に食事を与えていた行為です。
定期的に食事をあげているようで、猫たちも警戒心なくおばさんになついているように見えました。
これだけなら、なにげない日常なのですが、僕のふとした問いかけから、僕の背中がゾクゾクっとする感覚を味わってしまったのです。。。
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妻との会話で気づいたこと
その時の妻との会話を再現してみますね。
なぜだか突然、村上春樹さん風の会話を書きたくなりました。(笑)
いつもと違う文体で違和感ありまくりですが、可能でしたら読み進めてくださいませ。
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僕「野良猫に食事をあげるという行為は、一見良いことのように見えるけれど、必ずしも良いことばかりじゃないような気がするって言ってたことがあったよね?」
妻「そうね。どんな物事にも良い側面と悪い側面があるみたいに、人間が野良猫たちに食事を定期的に与える行為にも、見方によっては悪い側面が存在すると思うの。」
僕「良い側面はすぐに分かるけれど、悪い側面は表面的に見ていると分かりづらい。」
妻「食事を定期的に与えられると、その猫たちは自分で食事を見つける能力が育たないのよ。そうなると、人間がずっと食事を与え続けなければ、猫たちは生きて行けなくなってしまうことになるわ。飼い主がいれば良いのだけれど。」
僕「自分で食事を見つけるサバイバル能力が育たないってことかな?」
妻「そう。今まで努力しなくても食事をもらえると思って生きていた猫たちは、自分の力で食事を探せない。定期的に食事を与えている人が、あるとき何らかの理由で突然食事を与えられなくなってしまったら、あの猫たちはどうなってしまうと思う?」
僕「残念だけど、覚悟を決めて、自力でサバイバルできるように変わっていけるような少数の猫以外は、遅かれ早かれ命を落としてしまうことになると思う。」
妻「そうでしょう。その原因をつくったのは何かしら?もちろん生い立ちや生活環境もあるけれど、食べ物を与え続けて、猫たちの自活能力を育てる機会を奪ってしまった人間側にも、ほんのわずかかもしれないけれど原因の一端があるように思えてならないのよ。」
僕「確かに、幼い頃から食事を見つける努力をし続けていれば、食事を与えてくれる人が急にいなくなっても、多少なりとも自力で生きていくスキルが備わるかもしれない。」
妻「そういうことね。」
僕「なるほど。」
そのような話をしながら、僕たちは自宅に戻った。
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野良猫と私の共通点
この会話を終えた瞬間、僕は身体がゾクゾクっとして震えたのです。
なぜ僕は震えたのでしょうか?
少し考えてみました。
そして、、、
その答えが分かりました。
僕は、おばさんが定期的に野良猫たちに食事を与える行為から、次のような構図を感じとってしまったのです。
それは、
・猫=自分(サラリーマンとしての僕)
・食事=会社の仕事
・食事をあげていたおばさん=勤務先の会社
という概念の共通点です。
この構図が一瞬見えてしまったのです。。。
僕は会社から会社の仕事を与えられているだけで、自力で生き残るサバイバルのスキルを持っていないよね!?
これってヤバいことだよね??
と思ったのです。(汗)
「おばさんが自力で食事を見つけられない猫に食事を与えている」
という構図が、要は、
「会社が自力で仕事を見つけられない僕に仕事を与えてくれている」
というのと、非常に共通している、というように思えたのです。
食事は与えられるものではなく、獲得するもの
「食事とを与える人がいなくなったら、猫はどうなってしまうのでしょうか?」
という問いは、僕にとって、
「仕事を与えてくれる会社が、なんらかの理由でなくなってしまったら、僕はどうなってしまうのでしょうか?」
という質問と同意義だったのです。
そして、自慢ではありませんが、僕はその状況に対して盤石の準備ができていない。。。
そのような
「見えないけれど大きな不安」
に気づき、ゾクゾクっとしたのです。
自分なりに分析してみて、そんなふうに思いました。
世の中に貢献できるスキルや行動力を広げ、無形資産が逓増して行くシステムづくりをもっと加速しなければなりません。(汗)
会社やお客様、家族も含めて、自分が価値貢献できる場所を増やしていく!
と改めて決意した次第です!(もう何度目の決意か・・・涙)
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